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ひと夏の経験

2004年8月12日 サイト初掲載作品

吹き抜けていく風の中に、秋の気配がいつの間にかそっと忍び込んでいるような夕暮れ。
オレンジから薄紫へと微妙に変化していく色を刷り込まれながら、風に揺れる白いレースのカーテン。
窓から差し込む光は、真夏の強い日差しの名残を残しつつ、ソファーに影を落とす。

通り過ぎていく時間の波を逆行するかのように立ち尽くす夢と現実の狭間で、逢えなかった時間を一緒に取り戻していくふたり。

最後に逢った・・・あの日、あの時、あの場所、そしてあの瞬間から封印されていた想いが・・・
過ぎ去っていった時のうねりに揉まれながら再びふたりの心に小さな・・・小さな灯火を灯す。

「君が元気そうで良かった」
「・・・島さんも・・・」

交す言葉はそれだけ。
でもその一言に込められた様々な想いは、敢えて言葉に出して言わなくても、ふたりの胸の中では既に溢れんばかりに通じ合っていて。


逢いたかった・・・傍にいたかった・・・抱き締めたかった・・・抱き締めて欲しかった・・・


言葉に出して言えない分だけ募る想い。
相手に対して行動出来ない分だけ、深くなっていく愛情。

堪えれば堪える分だけ相手を求めて、渇望していく心を・・・激しくなっていく思慕をギリギリのところで封じ込めているからこそ、お互いを求め合う気持ちはますます高まっていくのに・・・
言葉が心に追いつけない。
相手に縋り付こうとしても身体が動けない。
ふとしたきっかけさえあれば・・・行き着くとこまで一気に雪崩れ込んでしまいそうな衝動は、身体の内側から今すぐにでも飛び出していきそうで。

もう限界を超え過ぎているのに、敢えて見てみぬフリをしている恋心と衝動は、僅かに繋ぎとめてるだけの理性の前でずっと喘ぎ続けていた。
均衡に保たれている領域を軽々と踏み越えている本能を知りながら、必死に耐え凌いでいる精神(ココロ)と身体は、自分が想っている以上に相手の存在全て丸ごと受け容れたいと、無意識下で切々と感情に訴え続けていた。

極限下の状況であんなにも切なく苦しい想いを経てきているからこそ、こうして再び出逢えた奇跡を誰よりも何よりも大切に想い、狂おしいほどに相手の心を・・・身体を・・・そしてその存在全てを求めているのに、指一本触れることさえ躊躇っている現実を超えられずにいて。
・・・つまりは命さえ捨てても惜しくないほどに相手を愛しすぎてしまっているが故に、極度のストイックな心情に陥っているわけで。
本来なら相手を大事にしたいと想う気持ちと、心の底から愛したい・結ばれたいと想う気持ちは同じはずなのに、大切に想うあまり触れられないという対極の気持ちを一緒に持ち合わせてしまっている時点で、既に己の気持ちと本能にズレが生じてきてしまって。
どうすることも出来ずにただ揺れ動く気持ちを互いに持て余してるふたりは、永遠にこのままの中途半端な状態が続く・・・はずだった。


・・・ほんの小さなきっかけで停滞していた状況が一気に進展するのは、もしかしたらかなりの確率で、実際にあるのかもしれない・・・。
・・・このふたり場合もそうだった。


「・・・今日、佐渡先生から連絡がありました。島さんとずっと連絡が取れないので私のほうに伝言がありまして・・・。また後日改めて島さん宛に連絡をするそうです」

先ほど交した会話の後、ずっと続いていた沈黙の壁を破るようにして話し掛けたテレサは、二杯目の珈琲をそっと島の手前に差し出す。

「ありがとう。・・・佐渡先生から連絡が・・・?あっ!そうか。うっかり忘れるところだった」

受け取った珈琲に対してテレサに礼を述べつつ、首を傾げながら佐渡からの連絡の意味を理解しようとしていた島の表情が、何かに思い当たって明るくなる。
難しいパズルの解決の糸口を見つけた瞬間に似たひらめきが、頭の中を駆け巡る。
その開放感に紛れて、島は大切なことを忘れていた。
ずっとテレサに黙って隠していたことが・・・思いがけずこの場面で露呈するきっかけを、自らが創り出してしまったことに。

「・・・佐渡先生は、どのようなご用件で連絡を下さったんですか?」

島に気付かれぬようにあくまでさり気なく訊いて来たテレサは、彼よりも一枚上手だった。
普段の島ならテレサが心配しないようにと最大限心配りをして、今テレサが質問してきた件は上手くお茶を濁してその場を切り抜けるはずだった。
しかし表面上はそうは見えなくても、長期任務を終えて久しぶりにテレサと再会した嬉しさに心浮かれて、いつもの警戒心が薄れていたのは明白だった。

「佐渡先生はたぶん三ヶ月に一度の精密検査を受けるようにと、連絡するつもりだったと思うんだ。
いつも忙しくて検査を忘れそうになるから佐渡先生から連絡をもらうようにしてるんだ。もうすっかり身体は元の調子に戻ってるのに、一年間は絶対に精密検査を受けなくちゃならん!って物凄い剣幕で怒鳴るから渋々。・・・本当はもう行かなくてもいいと思ってるんだけど・・・」

カタカタ・・・とテーブルの上のシュガーポットが音を立てる。
そのすぐ隣で俯いたまま小刻みに全身を震わせているテレサの姿があった。
長く豊かな金髪に隠れて表情は垣間見えないが、雰囲気から察するにして何か怒りを堪えているような感じに見受けられた。

「・・・テレサ?」

いつもとは違うテレサの様子に島の心が騒ぎ出す。
未だかつてこんな気配を漂わせたテレサの姿など見ていないので、どう声を掛けたらいいか判らず、伸ばした指先は宙を漂ったまま彷徨うだけ。

「・・・どうして・・・どうしてそんなに大切なことを私に今まで言ってくれなかったんですか!」

小さく鋭い叫びにも似た声が、部屋を突き抜ける。
急に顔を上げたテレサの眸には、今にも零れ落ちんばかりの大きな雫が止まっていた。
いつも穏やかで優しい口調でゆっくりと語るテレサの声は、興奮で僅かに上擦っていた。
頬は僅かに紅潮し、軽く噤んだ口元は微かに震えていた。
非難と怒りが入り混じった眸の奥で、何よりも強く煌いていたのは島の身体を心底から心配している気持ちだけで。
突然のテレサの抗議に驚きはしながらも・・・何故か心が温まっていく気持ちに島は気付いていた。
そしてそんな彼女を見つめる自分の気持ちの中に、あるはっきりとした『想い』が急速に膨らみ始めていることも・・・。

「・・・もしかして・・・心配してくれている?」

まだ怒りが篭ったテレサの視線の矛先をそっと躱しながら、彼女に横顔を向けた島は言葉を選ぶようにしてテレサに語りかけた。
その口調はいつになく穏やかで優しいものに違いなかった。

「・・・普通、病院から連絡が来たら・・・誰だって心配しますよね?」

言葉尻ではまだ怒りが収まりきらないような彼女の気持ちの中に、その言葉の影に込められている『好きな人のことならば尚更心配です』という意味を感じ取って、島の頬が僅かに緩む。

「・・・今まで君に隠していた僕のこと・・・まだ怒ってる?」

多少返答に詰まるような問い掛けをわざと投げ掛けた島の真意を測りきれぬように、テレサの声のトーンがほんの少し低くなる。

「まだ少し怒っているのは事実です・・・だけどそんなことより、どうか御願いですから佐渡先生のご指示通りに精密検査を受けてください。行かなくていい・・・なんて決して考えないでください」
「・・・でも本当に僕はもう大丈夫だから」
「駄目です!絶対に精密検査を受けてください!・・・貴方は一度身体に大変な重傷を負っているのですから、今は何ともなくてもこの先何かの後遺症が出てくるとも限りません。どうかご自分の身体を大切にしてください」

先程までの怒りとは打って変わって、懇願に近いような眼差しで真摯に訴えかけるテレサの眸から、
涙がポロポロと続けざまに零れ落ちた。
必死に何かを耐えているような彼女の口から、啜り泣きとともに掠れた声が漏れた。

「島さんに・・・島さんにもし何かあったら・・・私は生きてはいかれません。あの時の辛く切ない気持ちは・・・もう二度と繰り返したくないんです!」

両手で顔を覆って泣き始めたテレサの姿にハッとした瞬間、突き刺すような痛みが島の全身を駆け巡った。
そしてそれを凌駕するほどの激しく・・・果てしない『愛している』という真っ直ぐで一途な想いが全身を瞬く間に埋め尽くす。

「テレサッ!」

駆け寄って力の限りに抱き締める華奢な身体。
あんなにまで躊躇していた戸惑いを一気に覆すかのように、胸の中に抱いた想い人を今まで溜め込んでいた愛情を迸らせたまま固く抱き締める。

「・・・ゴメン。君を泣かせるつもりはなかったんだ」
「・・・島さん」
「君に心配かけまいとして・・・逆に君に心配を掛けさせてしまったんだね」
「・・・いいんです、もう・・・」
「・・・不謹慎かもしれないけれど・・・さっき初めて君が僕に対して怒った時・・・」
「・・・」
「君が僕に対して初めて自分の心の内をぶつけてくれたようで・・・とても嬉しかったんだ」
「!」
「相手がなんと想おうと恐れているだけじゃ駄目なんだって、君がさっき身をもって僕に示してくれたから・・・僕ももう自分の気持ちに嘘をつかない。今までずっと閉じ込めていた君への気持ちを・・・今だけ聞き届けて欲しい」

胸に抱かれたまま島の言葉を聞いて、ハッとして顔を上げたテレサの眸に映る微笑み。
それは・・・いつも、いつでも自分の傍で優しく見守っていてくれた笑顔であると共に・・・
心の底から愛して止まない、唯一の人間であることに今更ながら気付いて。

不意に耳元に降りてきた島の口元から囁かれた言葉を聞きながら、テレサの全身が見る見るうちに真っ赤に染まる。
言い終えた島の顔も、全身も同じ様に真っ赤に染まっていて。
俯いたまま、ゆっくりと頷くテレサを見届けた島は、固くなって立ち尽くしている彼女の身体を静かに抱き上げると数歩歩き出した。

「・・・引き返すつもりなら・・・今のうちだけ・・・だよ」

島の腕に抱え上げられたテレサは一瞬だけ軽く眸を閉じると、両腕をおずおずと島の首元にぎこちなく巻きつけながら、彼の顔から隠れるようにして呻くように呟いた。

「わざとそう仰るのは・・・今の私は引き返すつもりなど毛頭ないはずだと、判っていらっしゃるから・・・ですよね?」

恥ずかしがりながらも、ますます強く抱きついてくるテレサの姿をこれ以上ないほどに愛しく想いつつ、
島の漏らした言葉は闇の中に溶け落ちていく。

「この日を・・・この瞬間をふたりきりで迎えるために・・・きっと僕達は生まれてきたんだ。君以外の誰でもなく、僕以外の誰でもなく・・・テレサ、僕は君だけの為に・・・!」

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