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2004年11月19日サイト初掲載
(注意:このコラムは手許にあるCJ5巻初版本『銀河帝国の野望』を読んだ上でのコラムです。改訂版の5巻、および『ドルロイの嵐』は未見ですので予めご了承願います)
CJの物語の構成を為すのには二本の軸があると思います。
一本の軸はチームリーダーとしてのジョウとその仲間達の活躍と交流を描いているもの。
そしてもう一本の軸はジョウの成長とそれに関わっているであろうダンの存在であると。
ジョウとダン。
小説を読む限りでは少しのエピソードしか出てこないのでその少ない部分から読み取るしかないのですが、ふたりの関係性を考えるにおいて外せない重要なポイントがあると思います。
それはジョウの母親でありダンの妻である『ユリア』の影響です。
ジョウの母親であるユリアはジョウを産んだ後、半年後にこの世を去ります。
ジョウからしてみればユリアの存在は自分を産んでくれたという事以外に、彼女との接点が全くない状況と思われます。
自分を産んでしまったことにより母親の命を失わせてしまった・・・という負い目をジョウ自身がずっと心の何処かで感じ続けていているのではないかと考えます。
またそれは父親であるダンの妻という存在を、自分を産んだことで失わせてしまった事でもあるのでダンに対してはどこか遠慮があるというか、過剰に反応してしまう部分があるのかもしれません。
ダンについてもそれは同様で、ジョウという命を授かったものの妻を失ってしまったことでジョウの母親に対する思慕を叶えてあげられないという負い目を彼もまた背負っているのだと想います。
ジョウに対して唯一申し訳なさを感じているとしたら、それは母親の存在のことのみに尽きると想うので。
ダンは息子であるジョウに対してまわりくどい言い方などしないと感じますから、幼少時のジョウに母親の存在を訊ねられても『お前の母親は、お前を産んで半年後に亡くなった』とストレートに返すことしか出来なかったのだと想います。
一見酷い言い方にしか見えませんが、実はそれがジョウに現状を認識させる上で一番納得(というかそれが全てなので、それ以外に言いようがない)出来る言い方なのではないかと。
確かに一時は物凄く落ち込むと想いますが・・・ダンの言っていることは嘘ではないですし、どんなに足掻いても亡くなってしまったユリアを取り戻すことは出来ないのですから。
ダンにとってジョウに対する精一杯の思い遣りがユリアの死を誤魔化さずに知らせることだけ・・・という心の引っ掛かりが後々までジョウとの関係性に影響を及ぼしているように思えてなりません。
ジョウはダンが自分と対面する度にユリアの思い出と邂逅しているのを分かっている。
ダンもまた、ジョウが自分を通じてユリアがどんな女性で、どんな母親だったのかを手探りで見出そうとしている。
ふたりの間のわだかまりの根本は、お互いが一致した想いをずっと今まで携えていること・・・
つまり『もう一度ユリアに逢いたい』という切望が対面した途端にポロッと出てしまいそうで怖いからのような気がします。
ダンからはいつまでもひよっこ扱いされているジョウですが、それがダンなりのジョウに対する愛情の照れ隠しであると気付いたときに、ふたりの長年のわだかまりが雪解けを迎えそうな気がします。
ふたりともああいうタイプですから表面上は今までの態度を一切変えないのでしょうが(チームメイトに示しがつかないと、ジョウはあくまでも突っ張りそうですが(笑))心の奥では感謝していそうな予感がします。
・・・なんとなくその機会が訪れる瞬間はジョウの危機をダンが命を掛けて救出しようとして重傷を負い、瀕死の状況での場面になりそう(思いっきりベタな展開ですが(汗))で少し怖いのが私の本音です。
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