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もし叶うなら〜字書きの為の50音のお題〜

2005年9月9日サイト初掲載作品

「その・・・」

言い淀んだ言葉の切先が穏やかに過ぎるだけだった時間を一瞬だけ堰き止めた。
一口だけ啜った珈琲カップを手許の皿に置いた瞬間カチッとなった音は、いつもよりも刺々しい響きを残したまま部屋に沈んだ。
まるで今の二人に漂う雰囲気を表しているかのように、琥珀色の液体がカップの中でザワザワと波立つ。
それに追い討ちを掛けるかの如く、ミルクすら入れていない珈琲の中にスプーンを差し入れてグルグルと掻き回す彼の姿に、少しずつ胸の奥で累積していく不安。
カップの中で渦巻く琥珀色の波は私の胸の奥にまでその波紋を広がせつつ、更なる不安を煽っていく。
俯いたままだった彼がそっと顔を上げて真っ直ぐに私の両眸を捉えたとき・・・崩れ落ちそうな心に差し込んだ一筋の光。

「その・・・。何か欲しい物はない?」
「えっ・・・?」

何回も何回も心の中で葛藤し、反芻しながら・・・ようやく踏ん切りをつけて口にしたと思われる彼の言葉。
それを裏付けるかのように彼はうっすらと頬を染めて、今まで以上に激しく珈琲カップの中のスプーンを掻き回し続ける。
珈琲は彼が起こす波でグルグルと目を回しながら悲鳴を上げているように思えた。
照れ臭そうに頭に手をやって二、三回掻き毟るような仕草をしながら、私を見つめていた眸をそっと逸らして再び俯く彼。

「ゴメン。突然変な事を言っちゃって。突拍子も無いことをいきなり切り出したから、驚いた?」
「そ・・・そんなこと・・・ないです!」

上擦ったままの声で返答する私を軽く見上げつつ、一瞬だけホッとした表情を浮かべた彼は再び、はにかみの森の住人となった。

「僕、あまりこういう事に慣れていないから上手く言えないんだけど・・・。その・・・、もし何か君が欲しい物があったら何でも言って欲しいんだ。本来なら君に相談する前に、君に贈って悦ばれそうなプレゼントを事前に用意してるのが普通だと思う。言い訳にしかならないけど、どういう品物を贈ると君が一番悦んでくれるかって皆目見当がつかなくて。・・・情けない話だけど、今、こうして君に訊いているんだ」

途中途中で言葉を区切りながら訥々と話す言葉は彼の生きる姿勢、そのままに思えた。
真剣に相手を想ってくれるが故に必要以上に畏まってしまう、不器用で・・・真面目な貴方。
その直向な優しさに私は何度救われたことでしょう。
だから私は・・・。

「今の私に欲しい物は・・・ありません」
「!」

私の言葉を受け止めてビクッと身震いした彼が怯えた眼差しを私に向ける。

「私は島さんからもう充分過ぎるほどに温かい想いをいただいています。そのお気持ちはどんな品物よりも私を一番に幸せにしてくれています」
「テレサ・・・!」

困惑の表情を隠せないまま、必死に何か言葉を紡ごうとする彼を制するように、私は言葉を贈る。
ありったけの想いを携えた小さな微笑を彼に向けて。

「もし叶うのであれば、こうして貴方とお逢いできる時に一度だけでいいから私の名を呼んで微笑んでください。それが今・・・いえ、たぶんこれから先もずっと・・・私が一番欲しい物なんです」

言いながら、テレザリアムの哀しかった記憶が胸の奥の痛みと共に蘇る。

何度貴方に問い掛けても・・・

何度貴方に囁いても・・・

私の心からの願いが貴方に届くことのなかった、あの深くて暗い・・・果てしない闇の記憶。


『蘇って島さん!・・・もう一度眼を開いて!私を見て・・・!』


放たれていく絶叫の影で絶望が心と身体を埋め尽くすだけだった、あの時。
枯れ果てた涙の向こうで、私に優しく微笑みかける貴方の面影を胸に秘め決意したあの瞬間。

・・・全ては終わったはずだった。
今、こうして貴方と向かい合って話す日が来るとは夢にも思わず。


だから・・・
だから私は・・・

「もし叶うのなら・・・私の名を呼んで微笑んでください。それだけが私の欲しい物なんです」

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