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CALL

2004年7月17日サイト初掲載作品

雨が降る寸前の湿った空気の匂いが生温い風に乗って運ばれてくる。
急激に空を蔽い尽し始めた黒雲の勢いは止まるところを知らず、先程まで晴れ渡っていた青空を瞬く間にその重苦しい色で塗り潰していく。
鳥達がざわめき始め、低く立ち込めてきた黒雲の圧力から逃れるように低く旋回しながら逃げ場を求め始める。
一瞬にして天候が様変わりしていく様子を窓から眺めながら、どこか不安な気持ちに落ち込んでいく自分に気付きながら椅子から腰を上げた瞬間だった。
轟音と地響きが共鳴するように鳴り響くと同時に眸を突き刺すように鮮烈な雷が周囲の澱んだ色を切り裂いた。
声を上げる間もないまま、眸に焼き付くような刺々しいほどの稲光の衝撃と耳を劈くような恐ろしいほどの雷鳴の襲来に、咄嗟にテーブルの下に座り込んで身を潜めた。
それとは気付かないほどに全身は小刻みに震え続け、両腕を胸の手前で交差して掴んだ指先は力が入りすぎて二の腕の筋肉に痕がつくほどに食い込み続けていた。
叩きつける雨に呼応するかのように激しさを増す雷鳴の轟きは、鼓膜の機能を麻痺させるようなけたたましい音を周囲に撒き散らし、空を真っ二つに切り裂く雷光はギュッと閉じた瞼の上からも容赦なく襲い掛かる。
生物の生存意識に恐怖をまざまざと植えつけるかのように、無抵抗なものを即座になで斬りしていくような自然の脅威は威力を増すばかりで。
底知れぬ恐怖を感じつつ、ただこの嵐が過ぎ去るのを黙ってやり過ごすしかないとテーブルの下で身を竦めながら不安な気持ちでいる時に、重苦しい空気を跳ね除けるような軽やかな音が部屋の中に響いた。

雷鳴が轟いている一瞬の間を縫って部屋に響いた電話の呼び出し音は、硬直していた意識を即座に弛緩させるほどに絶妙なタイミングで耳に届いた。
このまま一人きりで恐ろしく激しい嵐が通り抜けるのをやり過ごすしかないと半ば悲壮な覚悟でいた自分を救い出してくれるかのように鳴り出した電話目掛けて小走りで駆け出すと、まだ震えている指先で受話器を持ち上げた。

「・・・もしもし」

耳に受話器を押し当てた瞬間に流れ込んできた声を聞いた途端に、緊張して硬くなっていた体の力が一気に抜け落ちてそのまま床に膝から崩れ落ちた。

「・・・もしもし?」

再び受話器を通して聞こえてきた声にじっと聞き耳を立てる。思い掛けなく目尻から零れ落ちた一粒の涙が膝を濡らした。
こちらを気遣うような控えめな落ち着いた声に縮こまっていた心と身体がみるみるうちに緩んでいく。
いま目の前に声の主はいないはずなのに受話器から漏れ出る声によって、恐怖に竦んでいた自分自身が暖かく包み込まれるような錯覚に陥る。
目に見えない糸を必死に手繰り寄せるように、今はただ聞こえてくる声に向かって縋り付くしかできない自分が痛いほど分かって。
ああ、自分はこんなにも彼を頼り切っているのだ・・・と、今更ながらに気がついて。
ともすれば受話器の向こう側にいる想い人に向かって、心の奥深くに仕舞い込んでいる溢れんばかりの気持ちを全部言い放ってしまいそうな衝動に駆られていて。
受話器からの問い掛けに答えようとしても言葉を発することなど到底出来ずにただただ受話器を握り締めるしか芸が無くて。

「・・・大丈夫?」

秘めやかな口調の裏側で自分のことを気遣ってくれるような優しい思いやりに満ちた声を聞きながら何とか返答の言葉を紡ぎ出そうとするが、喉元まで出掛かった言葉は声にならないまま虚空に消えた。
唇が僅かに動いて言葉の形を成そうとしても、肝心の声が唇の動きに追い着けずに空気だけが漏れ出す。
言葉を発するきっかけを見失ったまま受話器を口元に当てて涙を流すだけの自分を分かっているかのように労わるような声がゆっくりと耳朶を打つ。

「・・・さっきまでこっちは凄い雷と雨だったから・・・もしかしたら君の所も大変じゃないかと思って」

まるでこちらの様子を全て見透かしているような受話器からの呼び掛けに、意識が反応するよりも早く強張ったままだった唇が微かに動いた。

「・・・し・・・ま・・・さん・・・」

やっとの思いで胸の奥から絞り出した言葉はたったその一言だけ。
しかしその一言に込められている想いは、ありとあらゆる言葉を尽くしても尽くしきれないほどの深く果てない色彩に彩られていて。
自分自身でも抑えきれない感情が一気に迸りそうになるのを
必死に堪えつつ、その裏では助けを求めて心が張り裂けんばかりに島を追い求めているのに気がついて。
複雑で微妙な心理状態のまま次の言葉を出せずにただ項垂れるばかりの自分を受話器の向こうで励ますかのように島の声が再び届いた。

「・・・声を出すのが辛かったら、何も話さなくていいから・・・」

混乱するばかりだった気持ちが島の一言でゆっくりと落ち着きを取り戻し始めていく。
どう受け答えしていいか分からず気持が彷徨うだけだった自分を心底から思い遣ってくれるような島の優しい想いに心が救われていく。
受話器の向こう側にいながらも自分をそっと暖かく癒すように包み込んでくれるような島の想いに触れて恐怖で冷え切っていた心が融け出していくのが分かる。

言葉は交さなくとも・・・姿は見えなくても・・・
今この瞬間も変わらずに受話器を通じてお互いの心が通い合い、繋がっていると・・・
確信した時から心の底で芽生え始めた揺ぎない信頼と尽きぬことのない深い愛情。

沈黙したままの時間がこれほどまでに愛しくて・・・これほどまでに優しいものであると島によってもたらされた真実に、臆病だった心が生気を取り戻していく。
俯くだけだった視線を決意を込めて上に向けた瞬間に飛び込んできたのは、重く蔓延った黒雲を射抜くようにして差し込んだ強く煌いた陽の光。
叩きつけるように降り続いていた雨もいつしかその勢いが止み、しとしとと穏やかに降り続く小雨に様変わりしていた。
移り変わっていく景色を見詰め続けながら、ほっと安堵の息を小さく漏らして立ち上がろうとする自分に届いた声は、いつもと変わらずに優しくて穏やかで。

「・・・もう大丈夫・・・だね?」

受話器の向こう側で自分を気遣っているはずの島に・・・万感の想いを込めて一言だけ呟いた。

「・・・はい」

信頼と感謝と愛情と願いと・・・様々な想いで彩られた言葉を島の元に届くようにと心からの気持ちを込めて解き放つ。


貴方のもとに・・・届きますように・・・


少しの間を置いて再び受話器から聞こえてきた声が、止まったままだった時間をゆっくりと動かし始める。

「・・・また今度・・・君と逢えるのを楽しみにしている」
「・・・はい」
「・・・それまで元気で!」

プツッ・・・と切れた通話の後に続く電子音を聞きながら、島とのささやかな会話の余韻を噛み締めようとした瞬間に部屋の外から聞こえてきた遠ざかっていく足音が意識を現実に引き戻す。

まさか・・・!

頭の中を瞬時に駆け巡ったある予感に後押しされながら玄関先へと急ぐ。
鍵を開けようとするほどに滑っていく指先が焦る心に拍車を掛ける。
ようやく開け放ったドアの向こう側にはもう既に人影はなく、かわりに点々と続く濡れた足跡が廊下に続いていた。
玄関先の入り口で一際濃い染みがまだ水滴を含んだままはっきりとその存在を現していた。

その染みが目に飛び込んできた瞬間に、身体の中を埋め尽くしていく島への尽きぬことなき愛おしさと深く激しい慕情。
かつてないほどに強く湧き上がってきた島への一途な想いは限りなく透明に近づいていって。

部屋を飛び出す前に無意識のうちに確認していた時間の符合が今、頭の中で一致していく。
貴重な昼休みを全部潰してまでも、自分の身を思い遣って気付かれぬように気配を消しながら玄関先から電話を掛けて不安に陥りそうになる心を励まし続けてくれた島の・・・島の無言の愛情に気付いて後から後から零れ落ちる涙。
ハッと思い立って部屋を駆け抜けて辿り着いたベランダに、身を乗り出すようにして身体を覆いかぶせつつ泪が溢れ出しそうな眸を必死に凝らす。
焦れば焦るほど視点が定まらなくなる自分に雨は黙って降り続くままで。
もう姿は見えなくなったのかもしれないと諦め掛けた視界の端に、微かに入り込んできた人影に気付いた。
見覚えのある後姿は降りしきる雨の中、傘も差さずにただ黙々と歩き続けていた。
一心に前を見続けて・・・ただ一つの大切なものをずっと守り抜くとの決意が漲っているような気高い意識をその身に漂わせたままで。

島さん・・・!島さん・・・!!

ベランダの手摺に預けていた指先が身体ごとズルズルと滑り落ちていく。
手摺に凭せ掛けたままの身体は嗚咽を零し続ける身体に同調するかのように震え続けていた。
雨に打たれて次第に冷えていく身体とは裏腹に・・・どこまでも暖かく優しい想いに満たされ続けていく心を感じながら・・・またひとつ生きていく希望を与えてくれた島への愛情が深くなっていく。

そんなふたりの不器用でもどかしい想いを優しく見守るかのように・・・姿を現し始めた虹が一際色濃く空を彩っていく。

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