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夜明け

2004年5月28日サイト掲載作品

半歩ずつ交互に踏み込むたびに体中に響き渡る鈍い痛み。
まるで重い鎖で繋がれたような手足を、即座に押さえつけようとする冷酷な空気の抵抗。
黙って立っているだけでも圧し掛かってくるような重たい空気の流れは、全身を地面に平伏させるような勢いで纏わりつきながら、上手く動かせない四肢のギクシャクとした動きを見て嘲笑う。

僅か数メートル歩くだけで額から汗が滲み出しては頬を伝ってパジャマの襟口に透明な染みを作る。
堪えきれずに零した吐息の中に潜んでいるのは、自身の身体が自分のものでないような歯痒さと思うように動けない苛立たしさと・・・そして何より彼女への深く激しい思慕しか見当たらず。

再び零れ落ちそうになる汗を袖口で拭い取ると、ぼんやりと開きかけていた唇を強く噛み締める。
真っ直ぐに見据えた視線の先を目指して再び歩もうとする自身の身体に、ささやかな決意が漲り始めた。

*******

「・・・何っ?島がおらん!?」
「はい。今、病室を確認しましたらベッドがもぬけの殻だったとの報告を受けまして・・・」

婦長の報告を受けながら当直明けの佐渡は左腕に填めているアナログ時計に視線を落とした。
午前4時30分。
病院内では患者が一番寝静まった頃の時間帯である。
ハッと思いついて佐渡はパソコンにかぶりつく様にしながら電子カルテを立ち上げると、島のデータを凄まじい勢いで目で追った。

「看護師長!・・・確か今日から島はリハビリの予定じゃったの?」
「・・・あ、はい。先生の仰る通りです」

彼女の答えを確認しながら佐渡はひとしきり考え込んだ。
他者を一切寄せ付けないような厳しい眼つきのまま考え込んでいる佐渡に看護師長は恐る恐る言葉を掛けた。

「手の空いている者全員で病院内をくまなく探しましょうか」
「いや、その必要はない。島がリハビリ前の身体を引き摺って向かう場所があるとしたら・・・あそこしかおらんじゃろうて」

佐渡は一回ふ〜っと長い溜息をつくとパソコンの電源を切り、足元にある酒瓶をひょいっとカウンターの上に載せると手近にあるコップに並々と日本酒を注ぎいれた。
どうやら佐渡の飲酒は勤務時以外は病院内では黙認状態らしい。

「連れ戻さなくても・・・よろしいんですか?」
「あんたも嫌っていうほど分かっておるじゃろ?ヤマトの乗組員に共通している病院関係者泣かせの頑固な性格を」

自分の言葉に一切反論することなく、反対に思いっきり同意するかのように条件反射で頷いてしまう彼女の仕草を見ながら佐渡はやれやれというように苦笑した。

「ワシも肩身が狭いのぉ〜」

言いながらコップの酒を一気飲みした佐渡は窓の外を見遣った。
まだ空は夜の佇まいの中で沈黙していた。

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僅かな段差しかないはずなのに足を持ち上げる度に太股の付け根が引き攣るように痛む。
二週間臥せっていた体力の消耗は自分が想像していた以上に激しく、がくがくする足元を手すりにつかまりながら支えるのが精一杯で。
一段上がるたびに全身から吹き出る汗はすでにパジャマ全体に染み出て、朝方の冷え込んだ空気とともに島の身体に容赦なく襲い掛かる。
内部からの痛みと外部からの要因でひっきりなしに痛めつけられている島の身体は限界を感じて悲鳴を上げ続けるが、島の意識がその苦しみを蹴散らしていく。

こんなちっぽけな痛みや苦しみで音をあげる訳にはいかない!
彼女が・・・
彼女が地球を救う為にどんなに苦しく、どんなに辛かったのかを思えば・・・
こんな・・・こんなことくらいで弱音を吐いていられるか!

凛とした意識が島の心をかつてない激しさで奮い立たせていく。

テレサに・・・俺の命を懸命に救ってくれたテレサの・・・テレサのひたむきな想いに恥じぬように・・・ただそれだけの為に!

手摺を握る指先が次第に強くなっていく。
テレサの死を知らされて一気に崩壊しかけた心に届いた彼女の最後の言葉。

『私は今、幸せなのです。島さんの体の中で私は生きることが出来る・・・。島さんと一緒にあの美しい地球で生き続けることができるのですから・・・』

深い闇の中に永久に葬り去ろうとしていたひび割れた心を繋ぎとめてくれたのは、テレサの言葉に込められた自分に対する尽きぬことのない愛情と、今、自分をこの世に存在させてくれている彼女の貴い命。

塞ぎこんでいた心に彼女の言葉が響いた瞬間から自分の心に静かに湧き上がって来た生への欲求と、そしてその欲求を遥かに凌ぐほどの彼女への変わらぬ愛しさ。

彼女を・・・彼女だけを・・・今も、今でも、これから先もずっと愛し続けるから・・・!

それだけが今の、そしてこれからの自分を支えてくれる唯一の心の拠り所であると心に誓ったときから驚くほど強く身体の回復の兆しが見え初めて。
身体の中の目に見えないところで、彼女が・・・テレサがいつもいつでも自分を支え、励まし続けているのに思いを馳せて、島の心はより一層清らかで透明な心に塗り換わっていく。

*************

やっと辿り着いたドアの前で大きく一度だけ深呼吸すると、島はありったけの力を込めてドアノブを手前に押した。

凄まじい風圧が自分を押し戻そうとするが、前のめりになりながらも懸命に歩き出す。
まだ明けきらない空の彼方では星たちが夜の饗宴を名残惜しむかのように輝きながら自分を見下ろしていた。

「此処が君がいつも僕を見守ってくれている場所から、一番近くにあって・・・そして僕から君への想いを届けられそうな気がするから・・・」

林立する高層ビル群の中にあって、防衛軍指令本部から二番目に高い建物の病院の屋上で島は吹き付ける風の中で立ち尽くしていた。

僅かに白んできた空の彼方を見詰め続けながら島はそっと眸を閉じた。
瞼の裏側に浮かんでくるのは・・・今も・・・きっとこれからもただひとつだけ。
テレサの美しく清らかな姿以外には何もなくて・・・。

伏せた瞳の中で優しく微笑むテレサの姿と邂逅するたびに、愛しい想いはますます研ぎ澄まされていくだけで。
決して色褪せることのない彼女との想い出が深く心を包み込む度に、自分の中で生き続けている彼女の存在が蘇ってきて。

このまま眸を開けたら・・・愛しい彼女と逢えなくなってしまう・・・そんな気がして。
溢れ出そうになる涙を懸命に堪えながらギュッと眼を閉じたままだった自分にどこからか呼びかける声があった。

『・・・島さん・・・』

優しく透き通った声に気付いた瞬間に、思わず開いた両眸から涙が一筋零れ落ちていった。
零れ落ちた雫のなかには島自身のテレサへの今も変わらぬ揺ぎない愛情と、あのとき最後にテレサが見せてくれた微笑の欠片が写りこんでいた。

そして島が眼を見開いた瞬間に飛び込んできたのは・・・空の彼方を覆いつくす眩しいまでに鮮やかな金色の光の波と、自分に向かってそっと天上から微笑みかけるテレサの姿。

「・・・テレサッ!」

二、三歩よろめきながらテレサの姿に向かって前進する島だが、縋りつくことなど到底不可能で。
それでも怯まずに体勢を崩しながら必死の形相で近づいていく島に向かって、テレサは言葉の雫を彼に向けて降り注ぐ。

『いつもどんなときでも・・・あなたと一緒に・・・』

そういい残して明け方の空に静かに溶け込むようにして消えていくテレサの姿は次第に輪郭がぼやけてきて。
このまま見送るだけだと、もう二度と自分の想いを伝えられずになりそうな、そんな気がして。

島は上手く動かない両手を消え行くテレサの姿に向けて精一杯力の限り広げると声を迸らせた。

「テレサ・・・!僕はずっと君を愛してるから・・・!この命が続く限り、君だけを愛し続けるから!」

魂の放出に近い絶叫が静まりかえった周囲に響き渡る。
最後は涙声になって声にならない叫びが空気を切り裂いた。

島の絶叫をまるで聴きとめたかのように一際美しい笑顔を島に向けて・・・テレサの残像は明け方の光に紛れ込んでいった。

眩い光を撒き散らしながら顔を出し始めた朝日が、島の顔を身体を容赦なく照りつけ始める。
いつもと同じ様に穏やかな表情に戻りつつある島の顔を過ぎった確固とした決意が、朝日の中で一段と眩しく輝きだす。

「・・・夜明けだ」

自分の心にいつも寄り添っているテレサの想いに支えられながら、また今日も新しい一日が始まる

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