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My Dear

2003年7月14日 サイト初掲載作品

それは突然の電話から始まった。
地球防衛軍本部司令室で定例の報告会を行っている最中に、島大介の制服の中から軽やかな電子音が鳴り響いた。
勤務時間中に滅多にかかってこないはず電話の呼び出し音に、島の胸を過ぎる微かな不安。
携帯電話を取り出して発信先を確認する彼の心に動揺が走る。
緊急時以外には連絡をよこさないと暗黙の了解をしてあった家族、それも父親からの発信通知にますます不安が募る。
島は隣に座っていた古代にそっと目配せをすると、静かに会議室の外へ席を外した。
会議室から少し離れた階段の踊り場で携帯電話の受信ロックを解除すると、聞き慣れたはずの父親の声が耳に飛び込んできた。

「・・・大介か?勤務中にすまん」

詫びる父の声が微かに上擦っているような気がして、更に加速する不安。

「いえ、大丈夫です。それより父さん、いったい何があったんですか?」

心なしか自分の声も上擦っているように思うのは気のせいだろうか?
携帯電話を握る手が微かに汗ばんでくる。

「実は・・・次郎が大怪我をして病院に担ぎ込まれたんだ」

父が冷静を取り繕いながら告げてきた言葉の意味を理解するのに多少時間が掛かった。

「!!!次郎がっ!!!」

頭を鈍器で殴りつけられたような衝撃が瞬時に彼を襲い、バランスを必死に保とうとした意識を奈落の底へ突き落とす。
振り払っても振り払っても追い縋ってくる不安と緊張の濁流が自分を何処かへ連れ去ってしまうような心の動揺に耐え、混乱する意識を立て直そうとする自分自身がどんどん苦悩の深みに嵌まっていきそうになる。

「・・・大介、次郎は今・・・」

父親が発した言葉の続きを聞き終えないうちに廊下を駆け出した島の胸の中で、かつてないほどの焦りと恐怖が渦巻く。
潰れそうになる程の胸の痛みに堪えながら、島は必死に祈っていた。


・・・次郎・・・絶対・・・絶対死ぬんじゃないぞ!!!


静まり返った廊下に島の残した足音だけが固い音を響かせて鳴り続けていた。

*****

病院に到着すると手術室の前で両親が項垂れたまま、椅子に座り込んでいた。
自分が近づいても気付かないほど、一心に弟の無事を祈り続けるだけの両親の姿に島の胸は激しく痛む。

「父さん、母さん・・・次郎は?」

そっと声を掛けると、泣きはらした瞳の母親が島に縋り付いてきた。

「大介っ!次郎が・・・次郎がっ!!!」

半狂乱でただ嗚咽を零すだけの母親を支えながらそっと肩を撫でる島の隣で、父親が難しい顔つきで事の成り行きを説明し始めた。
途切れがちに話す父親の言葉にいつもの堂々とした覇気は一切感じられなかった。
父親の背中に宿る苦悩の重みを感じて、胸が詰まる。

「大介・・・次郎は・・・工事現場から落下してきた鉄パイプの下敷きになろうとしていた仔猫を助けようとして・・・自分が・・・自分が身代わりに・・・」
「・・・次・・・郎・・・!!!」

島の脳裏に浮かぶやんちゃで腕白な弟の姿。

『僕ね・・・大きくなったら、大介兄ちゃんみたいに立派なパイロットになるのが夢なんだ♪大きくなったら絶対パイロットになって、大介兄ちゃんに僕の操縦を見てもらうんだ!だって・・・だって大介兄ちゃんは僕の憧れなんだもの!』

人懐っこい笑顔で一緒に遊ぼうとせがんで来た甘えん坊の弟が瀕している状況に、島は言葉を呑んだ。


次郎・・・!次郎・・・!!


全身がワナワナと震えだし、顔から血の気が引いた自分に父親がそっと語りかける。

「大介・・・次郎の無事を皆で信じよう・・・」
「父さん・・・!」

こんな状況でありながらも必死に家族を励まし、支えようとする父親の姿に・・・島の心が揺れる。


そうだ・・・!まだ希望は捨てちゃいけない!
・・・父さんの言う通り・・・きっと次郎は大丈夫だ・・・!


暗闇に閉ざされた空に一筋の光が差し込むように、僅かな希望を見出そうとする島の心に蘇る熱い想い。
ふつふつと湧き上がってくる想いを強い確信へと変えようとした、その時だった。
手術室のドアが開いて、強ばった表情の医師が父親の前に進み出た。

「先生・・・次郎の・・・息子の容態はどうですか?」

父親の問いかけに表情を崩さないまま、医師が硬い声で応えた。

「かなり大量出血して危険な状態です。こちらで用意している輸血の提供量が限度を越えました。最善を尽くしてはいますが・・・予断を許さない状況であることに代わりはありません」
「・・・そんな!!!」

傍らで聞いていた母親の身体びくっと震えたかと思うと、突然倒れこんだ。

「母さん!母さんっっ!!・・・しっかりするんだ!」

医師は一瞬躊躇ったあと、父親に伝えた。

「ご家族の中で・・・息子さんと同じ血液型の方はいらっしゃいますか?息子さんの命を救うために輸血に協力していただきたいのですが・・・」
「息子が・・・次郎が助かるのならいくらでも血を採ってください!家族として息子の命を助けられるのが今現在それしかないのならば・・・いくらでも・・・いくらでも採ってください!!!お願いします!!!」

島は我が目を疑った。
今まで家の中ではもちろん家の外でも貫禄たっぷりで堂々としていた父親が・・・医者の前に座り込んで頼み込んでいる姿に・・・言葉を失った。
それは絶望したという類の感情ではなく、家族の為になりふりかまわず必死に行動している父親の姿そのものに・・・あとからあとから込み上げてくる、言葉では言い表せないほどの深く熱い気持だった。

「息子さんはO型でした。ご両親は何型ですか?」
「私はB型、家内はA型です・・・」

聞いていた医師の表情がみるみるうちに曇っていく。それは何を言おうとしているかはっきりとした表情だった。

「・・・それでは・・・輸血は無理で・・・」
「待ってください!」

医師が告げようとした言葉を遮るようにして島の唇から強い口調で言葉が放たれた。
凛とした響きをもった言葉が廊下で鈍く反響する。

「僕は・・・僕はO型です!僕の血を輸血してください!」
「失礼ですが・・・この方は?」

父親に対して質問しようとした医師の言葉より先に、懸命な面持ちの島から言葉が届く。

「僕は弟の・・・島次郎の兄です!僕の血液型はO型です。僕の・・・僕の血を次郎に輸血してあげてください!先生、お願いします!!!」
「大介・・・おまえ・・・!」

父親が呆然として聞いている傍で、島は笑顔を見せながら答えた。

「父さん、今次郎を救えるのは僕の血の輸血しかないんだ!・・・父さんは分かってるはずだろ!?こういった状況のとき、僕がどういう行動をするかって・・・。父さんと母さんが僕に教えてくれたんじゃないか・・・」
「大介・・・」
「父さん、次郎の命を助けるためなら・・・僕の血をいくらでもあげたいんだ。僕と次郎は・・・父さんと母さんから生まれた、この世でたったふたりの兄弟なんだから・・・」

島の言葉を聞き終えないうちに、父親の瞳から涙が一粒二粒零れ落ちた。
島は初めて父親が涙を流した場面に遭遇した。
いついかなる時でも泣くことはないと思っていた父親の思いがけない涙に・・・大介の瞳にも透明な雫が溜まる。

「素晴らしいご子息をお持ちで・・・羨ましいかぎりです・・・」

先程の硬い表情とは打って変わって、感慨深く言葉を漏らした医師の瞳にも涙が溜まっていた。

「手術は必ず成功させます!・・・では君、隣の採血室へ来てもらえるだろうか?」
「はい!」

歩き出そうとする島に向かって、涙を流したまま父親が呟いた。

「大介・・・頼んだぞ・・・」
「父さん・・・大丈夫だよ。きっと・・・きっと次郎は助かるから!」

笑顔で答える島の顔には、家族に対する溢れんばかりの信頼と愛情が滲んでいた。

殺風景な部屋の中のベッドに寝かされた島は、看護士の指示通りに腕まくりをして右手を差し出した。
天井に吊り下がっている蛍光灯の光がだんだんとぼやけていくのを見ながら、そっと瞳を閉じた。

「では、採血しますね」

その言葉と共に刺し込まれた採血用の針。
チクッとした痛みは腕ではなく、何故か心に感じたのに島は気付いていた。
それは・・・。


・・・テレサ・・・


霞んでいく意識の中で、島の脳裏に浮かぶ愛しい女性(ひと)の面影は・・・
ただただ自分を優しく見つめているだけだった。

*****

「色々とすまなかったな、古代。本当は今からそちらに出向いて上層部に状況の説明をしなくちゃいけないところなんだろうが・・・」
「馬鹿!そんなことまで心配するな、島。お前が律儀なのは良く分かるが、今は何よりも次郎君のことが大切だろ!?こっちの方は俺が何とかしておくからお前は次郎君の側についていてやれ」
「・・・古代・・・」
「なぁ、島。もし仮に今回次郎君が怪我をしたのがお前がヤマトに乗船している時だったら、側にいたくても居られないはずだろ?・・・だったら尚のこと、今は側についていてやれ。次郎くんの為にも。・・・そしてお前の両親の為にも!」

古代の最後の言葉が携帯電話を通して島の耳に力強い声で届いた。
・・・それは最愛の肉親を失った彼の心の痛みであると同時に、自分がそうしたくてももう出来ないという彼の背景を思い知らされて・・・島は次に続く言葉を見失った。
普段は家族の話題が出ると何気ない顔でやり過ごす古代だったが、本当はずっと胸のうちに
哀しみを隠し続けていたに違いなかった。
心の底から絞り出したような言葉の響きに込められた古代の想いに触れて、島の気持も透き通っていく。

「・・・ありがとう・・・古代」
「島・・・頑張れよ」
「ああ!」

ピッと軽やかな電子音と共に切れた会話。
携帯電話を胸に仕舞いながら、病院の外壁に凭れかかって夜空を見上げる。
頬を掠める冷たい風が今は優しい潤いを含んで通り過ぎていく。
雲ひとつ無い空に浮かぶ今宵の月は、丸みを帯びた蒼白い光の束を地上に降り注ぎながら、静かに佇んでいた。
柔らかい月の光に何故か心を癒されるような錯覚に陥りながら、無意識のうちに軽く溜め息を零した島は、次郎のいる病室に向かって歩き出し始めた。
背後に降り掛かる月の光の優しさを、背中で静かに受け止めながら・・・。


カチャッ。

静まり返った病院内に鈍く響くドアを開ける音。
そっと足音を忍ばせて入った部屋にはおびただしい数のチューブや人工呼吸器に繋がれた状態のままベッドに横たわっている次郎と、その側で祈りを捧げるように一心に次郎の姿を見守っている両親の姿があった。
なんとも言いようのない、まるで出口を塞がれたような焦燥感と不安が心に付き纏っては島の心に深い影を落す。

「父さん、母さん、少し休んでいてください。僕がしばらく次郎の様子を見ていますから」
「・・・大介」
「まだまだ次郎の快復には時間が掛かると思います。だから尚更、休めるときに休んでおかないと身体が持ちません。僕がついていますから、どうか今は休んでいてください。お願いします」
「・・・でも・・・」
「・・・父さん、母さん。次郎のことは何よりも一番大切だけど、父さんと母さんの身体のことも
僕は心配なんです。病院に着いてからずっと緊迫した状況が続いていたから、休めるときに
休んでおかないと!」

何かを言いたげな母の隣で父が一回だけ深く頷くと、島の両肩にポンと手を載せて低い声で呟いた。

「・・・大介、ありがとう。お前の優しさに何度私たちは救われてきただろう・・・」
「父さん・・・」

肩に置かれた父の手が僅かに震えているのに島は気が付いていた。
家族という絆は、乗り越えなければならない様々な試練や苦難に出会ったときに、より深く強いものになっていくのかもしれないと、肩に置かれた父の手を通して伝わってくるものを受け止めながら、島の胸に湧き上がってくる気持。

「母さん、大介の言う様に私たちは少し休んだほうがいい。ここは大介に任せよう」

父親の言葉に今まで黙ったままだった母の顔が少しほころんだ。

「・・・そうですわね。私たちが看病疲れで倒れでもしたら一番大変なのは大介と次郎ですものね」
「・・・母さん!」

目に涙を溜めながらそっと微笑む母親の顔は普段と変わらない優しさを称えた表情に一瞬だけ戻った。
そんな母親の表情を見ながら島と父は、口元に小さい笑みを浮かべながら頷きあった。

「・・・大介、しばらく頼んだぞ」
「任せてください!」

父に促される格好で部屋を出ようとする母は次郎を振り返ると、まるで自分に言い聞かせるように言葉を告いだ。

「次郎・・・。きっと・・・きっとすぐに快復するわよね」

*****

蒼白い月の光が射し込む部屋。
音のある世界からまるで遮断されたように静かに佇んでいる部屋の中で、次郎は眠っていた。
月の光の加減で陰影がくっきりと浮かぶ次郎の顔は、どこか安らかな表情をしていた。
昏々と眠り続けるだけの次郎を見つめる島の意識に優しく重なり合っていく、あの人の面影。
いつしか次郎の姿があの時の自分にダブっていくような錯覚を覚えて、島の心は時間の流れに徐々に逆らいながら研ぎ澄まされていく。
自分の命を繋ぎとめてくれた愛する人への揺ぎない想いを少しずつ積み重ねていきながら・・・。


・・・テレサ・・・
君もこうして意識の無い俺を必死に助けようとしてくれていたのか?
意識の無い俺に輸血しながら・・・君は何を想った?・・・何を祈った?


今日、次郎に初めて輸血して・・・君の想いが少しだけ分かったような気がしたんだ。
君と同じ立場になってみて・・・初めて君の祈りや切ない気持が分かったような気がしたんだ。
今なら君がどんな気持で俺に輸血してくれたのかって事が・・・分かる気がするんだ。

次郎に輸血するための採血針を腕に刺された瞬間、真っ先に君の顔が浮かんだんだ。
あの時、助けたいと願う君の懸命な想いが血液と共にこの俺の身体に注ぎ込まれているのが分かるから・・・。

・・・テレサ・・・
意識の無い俺の側にずっと居てくれた君は・・・きっと悲しかったに違いない。
苦しかったに違いない。
・・・でも君は・・・どんなに辛くても苦しくても・・・希望を捨てなかったんだろうね。
一縷の望みを繋いで・・・静かに優しく・・・意識の無い俺にずっと・・・ずっと微笑みかけてくれていたんだろうね。

『・・・私は今幸せなのです。島さんの体の中で私は生きることが出来る・・・。
島さんと一緒にあの美しい地球で生き続けることができるのですから・・・』

古代の口から初めて君のその言葉を聞いたとき、俺、本当は・・・君を許せなかったんだ。
どうして俺を置き去りにしていくんだって!
愛する君の命と引き換えにして俺だけが生き延びても、君と一緒に生きていなければ何の意味も無いはずだって!

・・・でも・・・たぶん君は分かっていたんだと想う。
意識を取り戻した俺が君を憎むかもしれないって。
一人取り残された俺が君を恨み続けるかもしれないって・・・。

だけど・・・何としても助かって欲しいから。
自分の命を差し出してでも愛する人を救いたいと、君は想っていたから・・・
君はずっと意識の無い俺の側で・・・哀しみや切なさと闘いながら・・・俺に輸血してくれていたんだね。
何よりも愛する人のために・・・。
愛する人の命を救いたいという、その願いだけのために・・・。

次郎の輸血のために採血している間中ずっと、俺は君のことを想っていた。
君と出逢ってから、君の事を忘れることは一瞬たりともない俺の心の中で・・・
その瞬間だけ一際強く、君の事を想っていたんだ。


・・・逢いたい。
・・・君にもう一度逢いたい。
・・・逢いたいんだ、テレサ!


ずっと心の中で押し殺していた切ない想いが、次郎への輸血をきっかけにして堰を切って溢れ出てくるのを俺は止めることは出来なかった。

・・・君を失ってからだいぶ時間が経ったけれど・・・
前よりも一層君が恋しくなっていく・・・
・・・前よりも一層、君を想い続ける気持が強くなっていく・・・

・・・ずっとこれからも変わることのない、君への気持を抱き続けたまま生きたいと願う俺を・・・
君は遠い空の彼方で優しく見守っていてくれるのだろうか?
君のことをずっと想い続ける俺のワガママを・・・君は許してくれるのだろうか?

・・・テレサ・・・
君に向かって言えなかった言葉があるんだ。
ずっと・・・ずっと君に言いたくて言えなかった言葉があるんだ。
あのとき言えなかった言葉を・・・今、心からの想いを込めて・・・君に伝えたい。

・・・テレサ・・・君を・・・君を愛している!


心からの叫びが闇を突き抜けて空へと解き放たれた瞬間に、月の光が一瞬だけ揺らめいて時間を止めた。
昏々と眠り続けたままの次郎の手が微かに動いたのを・・・島はまだ気付かないでいた。

*****

時間の流れと共に変化していく月の影が、一際濃く部屋の中に落ちる。
床に零れた自身の影法師が次郎の身を一心に案じている島の気持を和らげるかのように優しく揺らめく。
暗い部屋の中に射し込んだ月光が醸し出す幻想的な影絵の世界は、過ぎ行く時間の中にシルエットの残影をくっきりと映し込んだまままどろんでいた。
不安と焦燥が入り混じった潰れるような胸の痛みを必死に堪えつつ、ひたすら次郎の快復を祈り続ける島は僅かな希望を託すかのように、次郎の指先にそっと自分の指先を添えた。

・・・その瞬間だった。

昏睡状態で意識がないはずの次郎の指先が微かにピクッと反応した。

「・・・次郎!お前・・・俺が触れたのが分かるのか?!」

信じられないといった面持ちで上擦ったように言葉を発した島の全身に、強さを増した蒼白い月の光が降り注いでいく。
まるで島の心に同調するかのように、彼の張り詰めていた心を柔らかく解き解していくような月の光は、月の女神が零し続ける慈愛に満ちた涙のようでもあった。

衝撃で震えが止まらない身体を必死にコントロールしつつ、気持を落ち着かせる為に一回だけ軽く吐息を零した島は、もう一度だけ次郎の指先に手を伸ばした。


ピクッ・・・


前よりも格段に強く反応した次郎の指先を感じた島の瞳から思わず零れ落ちた一筋の涙。
流れ落ちる涙の中に映りこんでいた月の影は、優しい微笑を称えつつ漆黒の闇に一輪の花を咲かせた。
気高く美しい花の姿は・・・淡く儚い夢を紡ぎながら・・・島の心に静かに染み込んでいった。


・・・テレサ・・・君が・・・!


窓越しの月に向って呟いた島の瞳を通り過ぎた面影。
透き通っていく記憶の中に閉じ込めたままだった穢れなき想いは、今宵の月の光に誘われて島の身体を優しく包み込んでいくのだった。

*****

「僥倖という言葉しか思いつきません。最先端の医学をすべて費やしても息子さんの命を救える手立てはないと思っていました」

興奮したような口調の医師の言葉が部屋に響く。
穏やかな昼下がり、勤務の合間を縫って次郎の病室に駆けつけた島は、必死に看病を続ける両親の元を訪れた医師の言葉に耳を傾けた。
あの日、次郎の指先が微かに反応したと分かった日から今日で一週間が過ぎようとしていた。
次郎の回復力は病院側の説明によると理解の域を超えるほどの見事な回復であり、まさに奇跡としか言いようがないものであるらしかった。

「医師として恥ずかしいことですが・・・息子さんが病院に運ばれてきた時点で私はもう助からないと思っていました。今まで数々の臨床例を見てきた私にとって、次郎君の怪我は即死していても不思議でないくらいの症例でしたから」

医師の言うことを黙って聞いていたままだった両親の体がビクッと震えた。
島はそっと両親の背後に近づくと、労わるようにして後ろからそっと励ますように肩に手を掛けた。

「しかしお兄さんの血を次郎君に輸血した時点から状況に著しい変化が起きたのです。内臓機能の数値が正常に近い値に戻り始めたのを筆頭に、数々の快復が目を見張る勢いで次郎君の身体で起こり始めたのです。長年医師を務めておりますが、こんなことは初めてでした。目の前で起こっている現実を理解しようとしても、長年の経験が邪魔をして全く信じられませんでした」

一旦そこで医師は言葉を区切ると、一瞬だけ思いつめた表情をして次の言葉を続けた。

「次郎君本人の生命力も素晴らしいものであると思いますが、それにも増してお兄さんの血を輸血されたことが次郎君の命を救った一番の理由なのだと私自身思ってます。こういうことを言うと医師失格なのかもしれませんが・・・次郎君は医療という手当てで命が助かったのではなく、ご家族の深い愛情の絆とお兄さんの血を輸血したというその結果のみで助かったんだと・・・思います」

言い終えた後、向き直って深く一礼した医師はそっと病室を出て行った。
声もなく泣き崩れる母を支える父の眼に涙が一粒だけ浮かんでいた。
島はただただ両親の肩をそっと抱きしめるだけだった。
後から後から込み上げてくる胸を覆う熱い気持は・・・家族だけにしか分からないモノに違いなかった。

*****

あれから数日後、緊急の仕事で地球防衛軍本部に数日間召集を掛けられた島は、逸る気持を抑えつつようやく次郎の下へと駆けつけた。


どれだけ快復しているだろう?
もう会話はできるようになったんだろうか?


不安と期待が綯い交ぜになる気持を胸に秘めながら、そっと部屋に入った島の目に飛び込んできたものは・・・

「大介にいちゃん!来てくれたの!?」

甲高い声と共にはちきれんばかりの笑顔で島に向って微笑みかける次郎の姿だった。
上半身をベッドから起こして得意げに話しかける次郎の姿は、昔からのやんちゃな弟そのものだった。

「・・・じ、次郎・・・お前・・・」

呆然とした表情で口を開いたまま後の言葉が続かない島に、次郎のかわいい攻撃が続く。

「やだなぁ〜大介兄ちゃんったら!そんなにびっくりするほど、僕変わった!?」

まだ衝撃で言葉が出ない島を、母が嬉しそうな表情で迎え入れる。

「大介、突っ立ってないで次郎の側へ来たらどう?・・・今、私ちょっと出てくるからそれまで次郎の相手をしていてちょうだい。たまには兄弟二人だけで話をしていたいわよね。ね?次郎!」
「うん♪だっていつも宇宙に行っていて中々帰ってこない大介兄ちゃんが傍にいてくれるんだもの!僕、いっぱい色んなお話をた〜くさんするんだから♪」
「大介、次郎のことをお願いね!次郎、大介をあまり困らせるんじゃありませんよ。じゃあ、お願いね」
「はぁ〜い♪わかってます!お母さん、いってらっしゃ〜い!」

次郎の声に見送られて出て行った母の背中を視線で追いつつ、まだ混乱している島を見て次郎は促す。

「大介兄ちゃん、しっかりしてよ!僕よりも重傷だなぁ;;;」

その言葉にハッとわれに返った島はベッドサイドのイスに座り込み、次郎の目線に自分の視線を合わせた。
懐かしくて温かい気持が思わず込み上げてきて、微かに上擦る声。

「・・・次郎・・・随分と快復したんだな。頑張ったんだな・・・お前・・・」

島の感極まった声を聞いた次郎は照れくさそうに包帯でぐるぐる巻きになっている頭に手をやりながら恥ずかしそうに俯いた。

「ありがと・・・大介兄ちゃん。今回のことで・・・僕、大介兄ちゃんやお父さん、お母さんに
だいぶ迷惑掛けちゃったんだよね・・・。心配掛けてごめんね、大介兄ちゃん」
「馬鹿!そんなに恐縮するな。お前の命が助かったんだから・・・それでいいじゃないか、次郎!俺や父さん、母さんに心配かけたなんて思うなよ。な、次郎!」
「・・・大介兄ちゃん・・・」

思わず泣きそうになる次郎の肩を軽くポンと叩いて励ます島。

「泣くなよ次郎。・・・男だろ!?」

島の優しい励ましに涙を堪えた次郎は、真っ赤な瞳で島を見つめ返しながら・・・ポツリと呟いた。

「ねぇ、大介兄ちゃん・・・」
「・・・ん?・・・何だ、次郎?」
「僕ね・・・昨日母さんから聞いたんだけど・・・大介兄ちゃん、僕の為に輸血してくれたんだってね」
「・・・ああ」
「僕、そのときのこと覚えているんだよ」
「・・・!!!」

島の身体を駆け抜ける衝撃。
額に汗が滲んできたのを島は分かっていた。
心臓の鼓動が急に跳ね上がって、耳元で直接鳴り響いているような錯覚に陥りながら、次郎の言った言葉の真意を掴み取ろうとするが、混乱していく意識の前ではそれは無理だった。

「僕・・・僕ね、大介兄ちゃんなら信じてくれるって思うから・・・僕が体験したこと聞いてくれる?」

島からの返答はなかったが、兄がその詳細を知りたいはずだと島から発せられる雰囲気で感じ取った次郎は、穏やかな口調で話し始めた。

「僕・・・大介兄ちゃんから輸血されたって分かったのはね、意識を失って彷徨っている僕の心の中に現れた人が僕をずっと励ましてくれたからなんだ。その人はとっても綺麗な女の人で、
蒼緑色の瞳をしてブルーのドレスを着ていた。優しい表情をして・・・澄んだ綺麗な瞳をしていたよ。その人が僕にね、話しかけるんだ。『頑張って!もう少しで貴方の意識は戻るから!島さんのためにも、頑張って生き返って!』って何度も何度も繰り返し僕に話しかけてくれたんだ。その人、大介兄ちゃんの名前を口にしたとき、とっても大切な想いを抱えている表情をしていたのを覚えてる。そのとき、僕感じたんだ。この人、大介兄ちゃんに逢いたがっているんだって。大介兄ちゃんのことを大切に思い続けているんだって!だから僕、その人に向って言ったんだ。
『ねぇ、大介兄ちゃんに逢ってほしいんだ。きっと大介兄ちゃんも貴方に逢いたいはずだよ!』って。そうしたらその人とても悲しそうな顔をして僕に答えたんだ。『ありがとう・・・。でも今は私は島さんには逢えないの。いいえ、逢ってはいけないの。島さんが私に逢えるときはもっとずっと先の・・・ずっと先の未来でいつか逢えると信じているから』って言うんだ。・・・そこから先は覚えてないんだ。最後の言葉をその人が言い終えた瞬間に僕、眼を覚ましたんだよ。・・・その人、僕が意識を取り戻すまで必死に励ましてくれたんだ。ずっと・・・ずっと・・・」

次郎の淡々とした独白を聴きながら、島は膝に置いた両手をグッと握り締めたままだった。
泣くまいと必死に堪え、噛み締めた唇から声にならない嗚咽が零れだしそうになる。
次郎はそんな兄の姿を見ながら・・・幼心に感じていた。
兄はその人のことを愛しているのだと。
どんな理由で逢えなくなってしまったのかは分からないが・・・
兄もその人も、お互い今でも変わらずに心から愛し合っているのだと・・・。

「大介兄ちゃん・・・僕の命を助けてくれたその人のこと・・・僕、好きだよ」

次郎の言葉を聞き終えないうちに島が思わず次郎の身体に駆け寄って、思う侭に弟の身体を抱きしめた。
普段は冷静で絶対にそんなことなどしない兄の様子に、次郎は心底驚きながらも兄の気持が痛いほど分かって辛くなった。
何も言わずにただ自分の身体を抱きしめているだけの島の気持が・・・精一杯の兄の気持が・・・次郎には嬉しくて・・・切なかった。

****

その日の晩、島は家族全員が病院へ出払って誰もいない自宅の窓から月を見ていた。
あれからすぐに母が帰ってきてそのまま取りとめもない話をして病院を後にした島だったが、そのまま防衛本部へ真っ直ぐ帰る気にもならず、自宅へと立ち寄ったのだった。
ガランとした家の中で一人静かに月を見上げながら・・・島は囁くように月に向って話しかけた。

・・・テレサ・・・もし君にこの想いが届くのならば受け止めてほしい・・・
逢いたくて・・・君に逢いたくて抑えきれないこの気持をどうしたら君に伝えられる?
次郎を救ってくれたのが君だと分かって・・・俺は感謝の気持と同時に君に逢えた次郎が羨ましくて仕方なかったよ。この身体の中に君の命が息づいているっていうのは分かってる。分かってるけど・・・本当の君にもう一度逢いたいと願うのは俺のワガママなんだろうか?君に救ってもらった命だから・・・俺と次郎を救ってくれた君の命が、俺の中で今も生き続いているってわかるから・・・君の後を追うこともできない俺は・・・ほんの少しだけ哀しいんだ・・・一度でいい・・・たった一度でいいから・・・もう一度君に逢いたいんだ・・・テレサ・・・もう一度逢いたいんだ!

・・・だけど君は駄々っ子のように気持を押し付けるだけの俺を見つめながら・・・困ったように笑うんだね。
きっと君も俺と同じ気持のはずなのに・・・哀しみを押し殺して俺に笑いかけるんだね。
今宵の月のように・・・ただ俺の哀しみを受け止めながら静かに笑うだけなんだね。

・・・もっと君と一緒に話したかった
・・・もっと君と一緒に笑いたかった
・・・もっと君と一緒に見つめ合いたかった
・・・もっと君と一緒に生きたかった
もっと・・・もっと・・・もっと・・・!

・・・テレサ・・・待っていてくれるよね?
君は俺のことをいつまでも待っていてくれているんだよね?

君から授かったこの生命、俺は決して無駄にしない。
いや、無駄にしてなるものか!
一所懸命生き抜いて・・・とことんまで生き抜いて、生き抜くから・・・
・・・だから・・・
いつか『その時』がきたら、俺を笑顔で迎えて欲しいんだ。
君の俺に対する想いに恥じぬように・・・
君が託してくれた生命を大切に守り抜きながら・・・俺らしく生きて生きたいから・・・!
だからその日まで・・・君に逢えるその日まで・・・俺は君だけを愛し続けるから!
君だけを・・・ずっと君だけを愛し続けるから・・・!

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