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2005年2月10日 サイト初掲載作品
「・・・お帰りなさいませ」
丁寧に差し出された珈琲カップの淵にかかる、しなやかな指先が微かに震えていた。
ゆっくりと押し出されるように流れ出た言葉の端々に、安堵の気配が佇んでいた。
「ただいま。・・・元気だった?」
その言葉の後に続く筈の「淋しかった?」という問い掛けを、口元から出す寸前で押し留める。
そう問わなくても、きっと淋しかったに違いないはずなのに・・・
俺に心配掛けまいと必死で堪えているような、君の立ち姿が全てを物語っていたから。
「・・・はい。島さんもお元気そうで・・・良かったです」
俺に泣きそうな表情を覗かれまいと、俯いたまま呟く君の肩が小さく震えているように思えた。
そんな健気な君の姿を見ていると・・・
俺まで泣きそうになってきてしまって・・・
懸命に泣くのを耐えている君の気持ちを推し量って、咄嗟の判断を下す。
「・・・これ、帰りがけの道で買ってきたケーキなんだ。美味しいって評判のお店らしいから、一緒に食べよう。お皿を持ってくるから待ってて」
そう言いながらソファーから腰を上げ掛けた俺を、瞬時に君が制す。
「お皿は私が持って参りますから、どうぞお座りになっていて下さい。すぐにお持ちいたします」
珍しく早口で言い終えると小走りでキッチンに向かう君の背中に漂う、安らいだ気持ち。
泣き出しそうになる手前で、なんとか他に活路を見出したような君の表情が、目に焼き付いて離れない。
泣き出してしまったら、俺に心配を掛けてしまうから・・・と、必死に堪えている君の気持ちが痛いほど伝わってきて・・・。
君がお皿を取りに行っている間に気持ちを整えようと、ソファーからすっと立ち上がって窓まで歩いていく。
窓ガラスに額をつけたまま見下ろす景色は、ずっと変わらぬままで。
俺が不在の間、君は・・・この景色を眺めながら一体何を想った?
君の気持ちに寄り添おうとするけれど、実際俺の不在時に君が感じた寂しさや不安は、想像以上のものだったに違いないという事実にしか思い至らなくて。
遣る瀬無い思いのまま、握り締めた拳でドンドンと窓ガラスをぶつけた瞬間に、窓枠の隣に備え付けられていた棚から何かがポトリと落ちた。
見覚えのない、小さな赤いメモ帳がページが開いた状態で床に臥せっていた。
自分で使った覚えのないモノだから、きっと君が使っているものに違いないと、メモ帳を拾い上げた瞬間に飛び込んできた文字の羅列が意識を凍らせた。
「・・・あっ・・・」
凍りつく意識とは反対に、激情にも似た熱く迸る気持ちが身体を瞬く間に埋め尽くしていく。
それはかつてテレザリアムで君と抱き合ったあの時の気持ち・・・いや、それ以上に激しく、切なく、そして何よりも愛しいという感情に他ならなかった。
・・・テレサ!・・・君はどうしてこんなにも・・・!!!
溢れ出す気持ちで自分自身の感情に収拾がつかない俺に掛けられた声。
「遅くなってすみません。お皿、お持ちしま・・・」
途中まで言い掛けた君の言葉が続くことはなかった。
床下に派手な音を立てて落ちていった銀色のトレイに映り込むシルエットは、一つに重なり合ったまま動かない。
「・・・島・・・さん・・・」
衝き動かされた想いのままに、抱き締めた君の華奢な身体から伝わる温もり。
訳が分からないまま突然俺の胸の中に抱き寄せられた君は、呆然としたまま俺の名を小さく呼んだ。
益々強く抱き締められていく身体を少しだけ動かしながら、俺の身体を押し戻そうとした彼女を、胸の内から放たれていった魂の叫びが止めた。
「テレサ・・・。少しだけ・・・もう少しだけこのままで・・・」
君の柔らかな金糸に頬を摺り寄せながら、声を押し殺して漏らす吐息に混じった涙。
泣くのを堪えていた君よりも先に・・・思わず涙腺が決壊してしまった俺を悟られない為に抱き締める腕に力を込める。
「・・・しま・・・さん・・・」
俺の真意を分かってそっと抱き返す彼女を更に強く掻き抱きながら、俺の脳裏を過ぎったのは・・・
『・・・あいたい・・・あいたい・・・あいたい・・・』
覚えたてのひらがなで丁寧に書き綴られた、涙でインクが滲んだ君の文字だった。
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