2005年1月31日 サイト初掲載作品
一歩足を踏み出す度に、身体のバランスを足元から揺るがす新雪の山。
雪を蹴散らしながら・・・というには程遠く、雪を掻き分けて進む・・・と、表現した方がいい位に行く手を阻む雪の塊は、る気持ちを嘲笑うかのようにびくともしない。
後から後から降り続く雪は、まるで椿の花がポトリと落ちるかのように、平べったい形状のまま舞い落ちて傘に湿った重みを加え続ける。
うっかりすると雪の重みで傘の柄がひしゃげそうになるのを、必死に堪えつつ君の元へと急ぐ。
この寒さの中、駐車場に傘を取りに向かった僕をずっと待ち続けているであろう・・・その姿を。
ぐっと奥歯を噛み締めて、傘の持ち手を握る手に力を込める。
足元に渾身の力を込めて一気にスパートを掛ける僕の後ろには・・・聳え立つ雪の渓谷を真一文字に切り開いた、一筋の途だけが続いていた。
*****
「・・・待たせ・・・ちゃって・・・本当に・・ご・・・め・・・ん」
言葉を必死に繋げようとするけれど、息が上がって言葉の断片だけが途切れ途切れに口から零れだす。
話し出そうとする度に、口から漏れる呼吸が音を掻き消す。
言葉の数よりも遥かに多い、呼吸によって吐き出される白く丸い吐息が辺りを埋め尽くす頃、そっと額の汗を拭った柔らかくて心地よい木綿のハンカチの感触。
その肌触りとともに感じ取った君の指先の冷たさは尋常ではなくて。
その冷たさに・・・さっきまでの君と何かが違う・・・との予感が身体を駆け抜ける。
「汗を拭わないままだと・・・風邪をひいてしまいます・・・」
遠慮がちに呟きながら、少し背伸びをして僕の額の汗を拭う君の顔に微かな紅が散る。
恥ずかしそうに俯いて、僕の額の汗を優しい手付きで拭い続ける君に心動かされながら・・・
ふと行き当たった疑問が口をついて出る。
「・・・この雪の中、手袋をしていなかったのかい?」
僕の言葉にハッとして君が即座に身体を強張らせるのが分かった。
しかしすぐに何事も無かったように、一瞬だけ止まった手を再び動かしながら・・・君は小さく小さく呟く。
「・・・今日は手袋を・・・してきませんでしたから」
伏せた睫の先が微かに揺れていた。
君は嘘を・・・付いてる・・・?
何かを悟られまいと、本心を隠しているような君に漠然と気付きながらも・・・今はこの寒い雪の中で彼女を立たせたままではいけないという心が、その疑念に打ち勝っていた。
「ありがとう。君のお陰で大分汗が乾いたよ。・・・さ、傘を持ってきたから一緒に行こう。足元が滑るから気をつけて」
僕の言葉に小さく微笑みながら頷き返す彼女に突然どこからか声が掛かった。
「おねえちゃ〜ん!手袋貸してくれて、ありがとう〜〜〜!」
声がする方角に目を凝らすと、小さい子供の手を引っ張った母親がこちらに向かって深々とお辞儀をする光景が飛び込んできた。
可愛い熊の帽子を被った、年のころ5歳位の女の子が手に填めていたかなり大きめの手袋は、上品な淡い水色の・・・僕がいつも見慣れた手袋だった。
雪が降り続く中、小さな手を力いっぱい振りかざして大きく手を振るその仕草に、君は僕の方を一瞬だけチラッと見上げると、すぐさま女の子に向かって小さくバイバイを返す。
・・・それはまるで夢の中のような出来事だった・・・。
・・・降り続く雪の中で見た一瞬の光景は・・・幻影の中に埋没し掛けた気持を・・・
・・・確かな温もりで包み込みながら・・・僕の心の深淵にそっと触れた。
・・・雪は冷たいけれど・・・でもどこか・・・優しくて・・・
気が付くと何事もなかったように雪はただひたすらに降り頻るだけ。
雪の中に埋もれていきそうになる心は・・・やがて飛び立つ場所を求めて、静かに少しずつ動き出し始める。
「・・・寒かっただろ?」
黙って俯くだけの君を見つめながら、力なく下に垂らしたままの君の右手をそっと掬い上げる。
ハッとして顔を上げる君の顔に動揺が走る。
まるで叱られる前の子供のようにビクッとした怯えが君の手から伝わるのを感じながら、僕は静かに君の右手をある『モノ』で包み込んだ。
「・・・このまま一緒に車まで歩いていくけど・・・大丈夫?」
さっきまで複雑な表情で僕を見ているだけだった彼女が、今はその眸を潤ませつつ小さく頷いた。
「はい・・・大丈夫です」
僕の左の手袋は・・・僕の左手に。
僕の右の手袋は・・・君の右手に。
・・・そして・・・
「・・・さ、行こう」
ギュッと握り締めた君の左手が、そっと僕の右手を握り返す。
お互いの手と手から伝わる、言葉に出来ない想いに導かれながら・・・僕達は歩き出し始める。
生まれて初めて君と手を繋いだ瞬間を心の奥深くにしっかりと刻み込んで・・・。
忘れらない瞬間が・・・またひとつ・・・僕と君の心の絆を結んだ。
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