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ルージュ

2004年8月6日 サイト初掲載作品

蒸し暑さが充満しているような部屋の中を横切っていく、涼風にも似た涼しげな笑い声が二つ。
時折部屋の向こうから漏れ聞こえてくる、何やら楽しげな会話にそっと聞き耳を立てつつ、読み掛けのページに視線を落とす。
快活な雪の声とそれにゆっくりと言葉を返しながら、ほんの少し恥ずかしそうに会話しているような彼女の声が、夏の午後の強烈な日差しを和らげているような気がして、呑みかけのアイス珈琲で喉を潤しながら時の流れに身を任す。
手元の時計は午後3時になろうとしていた。


「島君、明日はお休みでテレサさんの所へ行くんでしょ?突然の御願いで申し訳ないんだけど、私も一緒に彼女のお部屋に連れて行ってもらえないかしら?」


事の発端は昨日の晩に遡る。
雪からの突然の電話に驚きはしながらも、テレサと事前に何処かへ行こうと約束していたのでもなく、
明日逢いに行くとだけしか連絡していなかっただけの自分は、雪の願いを断わる理由などなく。
普段はあまり他人にお願い事をしない雪が古代経由ではなく、直接自分に用件を連絡してきたのに多少引っ掛かりを覚えながらも、自ら行動を起こさなければ同年代の若い女性と話す機会は滅多にないはずの彼女のことも、気に掛かっていたのは事実で。
雪が何故突然こんな事を言い出したのか、真意を測りかねつつ了承の返事をしたのだった。
実際、漏れ聞こえてくる会話や笑い声は和やかな雰囲気であると容易に察せられて、少し胸を撫で下ろしたのも本当で。
飲み干したアイス珈琲のグラスをキッチンに持っていこうと、ソファーから腰を上げた瞬間に声が届いた。

「島君、観てちょうだい!」

いきなりの雪の声掛けにびっくりして半身だけ身体を後ろに振り返った途端、指先に引っ掛けていた
グラスが勢いよく絨毯の上に転がり落ちた。

「!!!」

雪の背後に隠れるようにしていた彼女が、雪にそっと押し出されるようにして俯いて恥ずかしそうに姿を現した瞬間に、思考が思いっきり弾け飛んだ。
彼女の姿が視界に入ったと同時にスパークした思考は、バラバラに砕け散ったまま収束不可能な状態に陥った。

「・・・あ・・・あ・・・あの・・・」

辛うじて喉元から絞り出した言葉はたったそれだけ。
ガツンと鈍器で頭を殴られたような衝撃は、動揺を誘って後から後から容赦なく押し寄せる。

「・・・予想はしていたけど・・・まさかこんなに見事にリアクションしてくれるとは想像外だったわ;;;」

固まったままの俺を見詰めながら苦笑交じりに言葉を零した雪は、彼女に艶やかに微笑みかけながらまくし立てた。

「テレサさん。今日は突然ごめんなさいね!でも色々と楽しくお話できて嬉しかったわ。また良かったら一緒にお話しましょう」
「雪さん・・・!もうお帰りになられるんですか?」
「ええ!もう一件行かなければならないところがあるので、これで失礼するわ。島君、テレサさん、今日は突然押しかけてしまってごめんなさい!それじゃ」

言い終えるとスタスタと立ち去っていく雪の姿を視界の端で捉えた俺は、今まさに玄関先を出ようとした雪に追いついて小声を漏らした。

「雪・・・!もしかして君は・・・」

ふと立ち止まった雪は少しの間を置いてゆっくりと振り返ると、柔和な微笑を投げてよこした。

「島君。・・・女ってね、時々愛されているかどうか分からなくなる時があるものなの。ただ黙って傍に居てくれるだけでも勿論嬉しいけれど・・・本当は違う。言葉にはしなくてもいいの。たった一回だけでも好きな相手に強く抱き締めてもらえる・・・ただそれだけで幸せを感じることができるのだと思う」
「・・・雪・・・」
「島君。・・・貴方が彼女を本当に大切に想う気持ちは凄くよく分かるわ。彼女を大切に想いすぎて触れられない気持ちも分かる・・・だけど、彼女はお人形じゃない。『島大介』という人間を心の底から愛している『テレサ』という貴方と同じ人間なのよ」

今までわざと目を瞑っていた事実を喉元に衝き付けられたような衝撃に言葉が出ない。
平静は装っても、敢えてズバッと核心を突いてきた雪の眸は、彼女なりに古代との恋を通じて経験してきた様々な想いに彩られているような気がした。
裏を返せばそれだけ雪も古代もお互いを唯一無二の存在として、命を掛けて愛し合ってきたという事実を経てきているからこそ、言葉に重みがあるのも当然のことだった。

「・・・島君。相手の事を思い遣ることも勿論大事だけど、相手を愛する気持ちが何よりも一番大事・・・よね?」

パタン・・・と閉まったドアの向こう側に消えた雪の残影。
その影に向かって俺は深く一礼するのだった。


部屋に戻ると、今にも泣きそうな顔で立ち尽くしているテレサの姿がそこにあった。
さっきはあまりに突然の出来事で振り返る余裕がなかったのだが、改めて彼女の姿を静かに見つめ直した。

彼女の肌の白さを美しく際立たせるような淡い水色のノースリーブのワンピースは、いつもの彼女よりさらに清楚で可憐な印象を見せつけ、唇に薄く塗られたパールピンクのルージュは咲き綻ぶ薔薇の蕾のように、この世のものとは思えない清らかさに彩られていた。
ありとあらゆる形容を当てはめてみても『最上級に美しい』という、それ以上の言葉は見つからず。
この神聖な美しさの前では、月並みの『綺麗』という言葉さえも霞んでしまうように思えて。

それなのに身体を小刻みに震わせながら、俺の視線から逃れるようにして彼女は二、三歩後ずさりし始めた。

「・・・やっぱり私には・・・似合わない・・・ですよね。すみません・・・。今、すぐに着替えてきますから」

まるで屈辱に耐えるかのように唇を噛み締めて、少しだけ顔を歪ませながら痛々しいほどにびくついている彼女は、きびすを返すと部屋から逃げ出そうとした。

ふわりと髪がたなびいたかと思うと、甘く優しい香りが鼻腔をくすぐる。
咄嗟に腕の中に閉じ込めた小鳥は、驚いて羽をばたつかせながら抵抗を始めた。
彼女が言葉を解き放つよりも先に封じ込めた、唇から唇への一瞬の戒め。

「!」

微かに触れ合った唇と唇は、お互いの身体の震えまでも敏感に伝わらせていて・・・。
昂ぶる気持ちと揺れ動く感情さえ、今は泣きたくなるほどの深い感動に包み込まれていて。


・・・ずっと抱き締めたかった。
・・・君をこの腕の中に閉じ込めておきたかった。

溢れる感情を抑えようとして自分の心を見失っていたのも事実。
君を大事にしたいから触れられない・・・と自分自身を縛り付けていただけの勝手な思い込み。

・・・だけどこうして現実に君を抱き締めてみて分かった、
愛するということの穢れない貴さの前で自分自身の心に嘘を付くことの愚かさを。

ああ・・・僕は君をこんなにも・・・こんなにも愛しているのに・・・
どこかで何かを履き違えたまま、心だけがずっと空回りをし続けていたのだと・・・


そっと唇を離して戸惑いと恥じらいが入り混じったような彼女の眸を見つめ返す。
何かを言いたげに僅かに眉を顰めて上目遣いに見上げる彼女の身体を、ありったけの想いを込めて強く抱き締める。
上気してピンク色に染まった彼女の頬を滑り落ちる一筋の涙に込められていた真実・・・それは・・・

・・・彼女の可憐な唇を彩っていた艶やかなパールピンクのルージュだけが知っている。

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