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七夕

2004年7月3日 サイト初掲載

「・・・もし良かったら、君も書いてみる?」

そっと目前に差し出された掌の上に載せられている、紐のついた細長い様々な色の和紙とペン。
腕の中に抱え込めるくらいの、こじんまりとした竹に、色とりどりの様々な笹飾りをゆっくりと括り付けていた
私は、不思議そうな眼差しを島さんに向けて放った。

「・・・これは・・・何ですか?」

私からの問い掛けを待っていたかのように、彼は大きな笑みを私に向けて零すした。
ゆったりとした口調で話し始める彼の声が、柔らかい響きを保ったまま部屋の中に溢れ出す。

「これは『短冊』といってね、お願い事を書く紙なんだ。こうして他の飾りと一緒に、笹の葉に括り付けて
七夕の夜に飾ると、願い事が叶うと昔から言い伝えられている。・・・今となっては迷信に過ぎないけど・・・
でも昔の人たちが様々な願いをこの短冊に託しながら、七夕の夜を過ごしたっていうのは情緒が溢れていて
とても素敵な感じがする・・・と、僕個人はそう思ってる」

言いながら何となく照れたような様子で、そっと視線を落とした島さんの頬に僅かに紅が散る。
恥ずかしそうに少しだけ俯いた彼の横顔を覆っていくのは、優しさに彩られた時の佇み。

いつもあまり表立って感情を表す人ではないから、こうして折に触れてほんの少しだけ、心情を私に
吐露する場合は、決まって彼は俯きがちになる。
自分の気持ちを相手に押し付けまいと、必要以上に構えてしまっている分だけ、ぎこちなくなる
仕草と会話は、島さんと私に共通する癖だった。

・・・ぎこちなくなってしまう、貴方の気持ちが私には何となく分かるから・・・

島さんの気持ちを慮って、会話の続きを言い出せない私がいて。
それは私に対する彼とて同じであるから、いつも途切れがちになる会話の向こう側で、
お互いの心と心が微かに触れ合う事すら臆病になっている、貴方と私。
立ち往生する想いは、何度となく胸の縁をなぞり返すだけ。

一歩踏み込めば、相手に負担が掛かると知っているが故に、心の奥深くに蔓延っている無意識の理性は、
行く先を失ったまま行きつ戻りつしている情熱を、知らず知らずのうちに押さえ込んだまま動かない。
何かひとつきっかけがあれば、一気に溢れだしそうになる心を、お互い持て余しているのは最早ギリギリの段階で。
そうと分かっていても、胸の中に漲る零れ落ちんばかりの、相手への愛しさを抱え込みながら、
心の何処かでその想いが自然に霧散されるのを願っているのも本当で。
ゆらゆら揺れる気持ちの裏側で、今はただこうして彼の傍にいられるという幸せ以外、何も見つけ出せなかった。

逡巡している気持ちに流されるままだった自分に歯止めを掛けたのは、無意識に手を彼の元に差し出した
私自身の行動だった。

「・・・短冊にお願い事を書いても・・・いいですか?」

ハッとして顔を上げた彼に、驚きの表情が広がる。
何を言い出そうかと戸惑っているような、彼の口元を見つめた瞬間、
彼の行動を促すような言葉が無意識に零れだした。

「・・・短冊を一枚・・・だけ下さい」
「・・・一枚・・・だけでいいの?」

彼の問い掛けにほんの僅か頷いた私を見届けて、綺麗な水色の短冊をそっと手渡してくれた貴方。
指先から伝わる震えに同調するような声が、黄昏に紛れていった。

「君の願い事、きっと叶うといいね」

******************

夕焼けの切れ端が、空の彼方に名残を残しながら消えかかろうとする頃、
少しずつ瞬き始めた星の輝きが、遠慮がちにその存在を表し始める。
昼と夜の境目に横たわって、まどろんでいる時間の波に後押しされるようにしてベランダに並んだ私達を、夕暮れの空は招き寄せるようにして、自分の懐の中に包みこむ。
そんな優しい時間の流れに癒されて、彼も私もいつもより・・・きっと心が無防備だったのかもしれない。

「・・・願い事を書いた短冊を、ふたり同時に飾ろうか?」

僅かな隙間をおいて、並んで立つ私と貴方の間を行き過ぎるのは、穏やかな風とゆっくりとした時間。
このままじっとしていると、足元を掬われて何処かに流されていきそうな予感に、心が怯える。

「・・・はい」

彼も私も、短冊にしたためたお互いの願い事を、まだ知らずにいた。

・・・島さんは、どんな願い事を短冊に書いたのかしら・・・?

湧き上がってくる疑問を心の中で抑えつつ、私と彼は七夕飾りを挟んで向き合うようにして、
最後の仕上げに取り掛かった。
笹に結び付けようとすると、緩やかな風に吹かれて飛ばされていきそうになる短冊を、
大事に葉先に括り付け終えたのは、ほぼ同時だった。

どちらからともなく、元いた位置に戻った私達は、ベランダの手摺の上部にしっかりと設えられた笹飾りを、
ただ黙って見詰めていた。

「・・・綺麗だね」
「・・・はい」

一言だけ交した会話が、夜の闇に溶けていく。
静かな風にそよぐ、色とりどりの笹飾り。
サワサワサワ・・・と心地よい音は、周囲の景色もそして私達の心も、新しい色に塗り替えてくれるような気がした。

そのときだった。
無邪気な風が、一際強く笹飾りの周りを吹き抜けた瞬間、
私が願い事をしたためた水色の短冊と、彼が願い事をしたためた薄い緑色の短冊が、
お互いの眸に文字を焼き付けるかのように、ひらひらと優雅に舞った。
はっきりと目に飛び込んできた文字の羅列が、二人の時間を堰きとめる。

「あっ・・・!」

声を出したのは、ほぼ同時だった。
短冊にしたためられたお互いの願い事は、視覚を通じて全身に軽いショックを起こさせる。
一文字確認する度に、訳もなく鼓動が激しくなっていく気がした。

『テレサの願い事が、きっと叶います様に』
『島さんの願い事が、必ず叶います様に』

雷に打たれたように、痺れて動けない身体の中で、『何か』が変わっていこうとしている。
それはきっと、彼も同じであるはずだと・・・言葉にできない確証が、ぼんやりとしたカタチから
次第にくっきりとした想いに象られていくのを、はっきりと分かる。

不意に影が動いて笹飾りに近寄ったかと思うと、混乱しかけたままの私に、話しかける声があった。

「・・・ここで見ていて」

彼は自分が願い事をしたためた短冊を、そっと今の場所から取り外すと、私が願い事をしたためた短冊に
二つ一緒に寄り添うようにして、しっかりと・・・しっかりと結びつけた。

「・・・僕達の願い事・・・きっと叶うはずだよ」

蒼白い月の光を浴びて佇む彼の優しい笑顔の頭上で、流れ星が一つ強い光を放って瞬きながら、
空を駆け抜けた。

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