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2005年1月7日 サイト初掲載作品
「・・・明日も・・・来るから」
病室を満たしていた蒼白く儚い月の光が、一瞬だけ色を失くした。
何かを言い掛けて唇を動かした彼女の口から声は漏れることはなく、そのまま口を噤んで僅かに俯くだけ。
その間も今宵の月は、病室の隅々まで余す所なく静寂の光を撒き散らしながら、俺と彼女の心を封じ込めようとする。
_____
彼女とのたった15分だけの病室での面会が許されたのは、ほんの三日前。
まだまだ全快とは程遠い状態の彼女の容態を考慮すれば、本来なら面会謝絶でもおかしくない状況なのだが、佐渡先生の一言が心に重く圧し掛かる。
「のぉ〜、島。彼女にとってお前の存在だけが・・・何よりの特効薬なんじゃろうて・・・」
眼鏡の奥で一瞬だけ見開いた眸が、佐渡先生が言いたいことの全てを物語っているような気がした。
それから三日間、俺は毎日同じ時刻に彼女の病室を訪れた。
彼女も最初に面会したときと同じ佇まい、同じ面持ちのまま・・・俺を待ち受けていた。
15分という面会時間内で出来ることといったら・・・必然的に限られてくる。
恋人同士という人間関係であれば尚更、することはもう既に決まっているのかもしれない。
愛の言葉を掛け合ったり・・・抱き締めたり・・・口付けを交したり・・・
・・・だけど、俺と彼女は一切そういうことはしなかった。
いや、出来なかったという方が正しいかもしれない。
意気地なし・・・と言われれば、それまでかもしれない。
臆病者・・・と言われれば、仰るとおりだと認めるしかない。
だけど俺と彼女の心の繋がりは恋人同士が普通に交わす愛情表現などとは、どこか何かが違うような・・・そんな気がする。
それはきっと、自らの命を投げ捨ててまでも相手を愛し尽くそうとした究極の極致まで、一気に辿り着いてしまったからかもしれなかった。
ベッドの背もたれに上半身を預けて静かに佇んでいる彼女の傍に近づいて、毛布の端に置かれている白くしなやかな細い指先に、そっと自分の指先を重ね合わせて眸を閉じる。
眸を閉じた途端にお互いの指先から行き交う、暖かな温もりと言葉にすら出来ないほどの言い尽くせない想いの欠片を感じ取りながら・・・沈黙の時間の中で心の隙間を埋め尽くすように相手の確かな存在を胸の奥に刻み付ける。
長いような・・・短いような・・・たった15分だけの逢瀬。
・・・でもそれは俺達ふたりだけにしか分かち合えない貴重なひととき。
_____
「・・・あの・・・」
思い掛けなく彼女から呼び止められたことに驚きを隠せない。
彼女の問い掛けは予定外だったので、病室のドアから出し掛けた右足が廊下の冷気に触れてハッと我に返る。
すぐさま方向転換して今さっき離れたベッドサイドに向けてゆっくりと歩く。
ベッドの傍まで到着すると彼女の目線にあわせるようにして屈んだ。
そんな俺の目線から何故か逃げ出すようにして、俯いたまま肩を震わせている彼女。
「もしかして・・・何か言いたいことがある?」
俺の言葉を身体を震わせたまま聞いていた彼女は、さっきまで重ねあっていた指先をそっと動かすと俺の右手の掌に近づけて触れさせた。
「・・・あの・・・、今日から少しずつ文字を習い始めたんです・・・。その・・・ご迷惑でなければ、一番最初に覚えた文字を貴方に見ていただきたくて・・・」
泣きそうな顔で俺を見上げる彼女に向けてほんの少しだけ頷く。
俺の表情を黙って見届けた彼女は眸に僅かな泪を留めたまま、たどたどしい手つきで俺の掌の上で指先を滑らせ始めた。
ゆっくりと、でも丁寧な動きの指先は掌にしっかりとした文字の跡を残していく。
真剣な顔つきで一生懸命に覚えたての文字を書き連ねていく彼女の清らかな表情に心が騒ぎ出す。
「・・・書けました・・・」
そう言い終えて恥ずかしそうに頬を染めて俯く彼女を見た途端、堪えていた『何か』が胸の内で弾け飛んだ。
彼女の柔らかくて華奢な身体が、あの時のテレザリアムでの刹那の抱擁の記憶にオーバーラップしていく。
『し ま さ ん』
掌に残された文字に込められた彼女のひたむきな想いは・・・
月の光に照らし出されながらきらきらと煌いて、夜の闇に仄かな恋の灯火を灯した。
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